バリ島はどのようにして、世界有数の観光地になったのか?
- Ayako Yamamoto
- Jan 14
- 7 min read
バリ島は世界中の旅行者を魅了し続ける東南アジア屈指の観光地です。美しい海と自然、ヒンドゥー文化に根ざした独自の宗教儀礼や芸能、洗練されたリゾート体験が共存し、多様な目的を持つ観光客を受け入れてきました。しかし、現在のような国際的な観光地として確立するまでには、長い歴史と社会変化、そして観光政策の積み重ねがありました。本記事では、バリ島がどのようにして世界に知られる島へ成長したのか、その背景を歴史的・文化的視点から整理して紹介します。バリ島旅行を検討している人や、インドネシア文化に関心のある方にとって、より深い理解の助けになる内容を目指します。
バリ島とはどんな島か
バリ島はインドネシア共和国の一県に過ぎませんが、国内の他地域とは大きく異なる文化と独自性を持つ島です。主要な宗教はヒンドゥー教で、島全体に数多くの寺院や祭礼があり、独自の伝統芸能や生活様式が根付いています。こうした文化的な深みが、観光客を強く惹きつける大きな要素です。
自然環境も魅力的です。白い砂浜や黒い砂浜、青い海、火山といった多様な景観が広がり、熱帯の気候と組み合わさった景色は海外でもよく知られています。
海外との最初の接触と早期の観光の芽
バリ島が外国人の目に触れたのは、オランダによる東インド進出の頃からです。16世紀以降、ヨーロッパとの接点が生まれ、その後の植民地時代に観光資源として一部が紹介されました。
1920年代にはオランダ系のホテルが開業し、そこを拠点に少数の外国人観光客が訪れました。当時は観光インフラがほとんど整っていませんでしたが、外国人の関心が少しずつ高まっていきました。
独立と国際化のきっかけ
第二次世界大戦後の1945年、インドネシアが独立すると、バリ島も新国家の一部として再出発しました。1958年には正式にインドネシアの県となり、国家の観光戦略の一翼として注目されるようになります。
1960年代には、空港整備や国際的なホテル建設が進みました。特に大型ホテルと空港の整備は、外国人旅行者を直接受け入れるための重要なインフラとなりました。
1970年代の観光開発と文化の再評価
1970年代になると、インドネシア政府は観光を外貨獲得の柱とする政策を明確に打ち出しました。なかでもバリ島への重点的な投資は観光開発の起点となり、南部のサヌールなどが最初の観光の拠点となりました。
この時期、海外からのバックパッカーやヒッピー文化を持つ若者たちがバリ島を訪れ、現地の素朴な生活様式や自然に魅了されました。こうした訪問者は、ホテルに泊まるのではなく地元の家庭や小さな宿に泊まり、現地の食文化を体験するスタイルが話題になりました。
また、観光と伝統文化を結びつける戦略も生まれました。政府はバリ独自の文化芸能を観光資源として位置づけ、伝統舞踊や工芸、祭礼などを観光商品の一部としてアピールしました。1979年にはバリ芸術祭も創設され、国内外から文化に興味を持つ人々を惹きつける役割を果たしました。
1980〜1990年代の急成長
1980年代から1990年代にかけて、バリの観光産業は飛躍的に成長しました。この時期、政府は南部海岸線を中心に大規模なリゾート開発を進め、ヌサドゥア地区には高級ホテルやリゾート施設が次々と建設されました。
同時に、世界各国の旅行会社が「バリ旅行パッケージ」を販売し、より多くの中間層の観光客を引き寄せました。こうした積極的なマーケティングが、バリを東南アジア屈指の観光中心地へと押し上げていったのです。
テロや危機を乗り越えて
2000年代初頭、バリ島は大きな試練に直面しました。2002年と2005年に観光中心地で大規模なテロ事件が発生し、観光客数は一時的に激減しました。
しかし、その後の安全対策の強化や国際社会の支援により、観光産業は回復を遂げました。2007年以降は毎年大きな伸び率で観光客数が増え続け、現在では年間数百万人が訪れる世界的なリゾート地としての地位を確立しています。
何がバリを特別な場所にしたのか
バリが「世界の観光地」として著名になった理由は、単に自然が美しいからだけではありません。
独自文化の魅力
バリ島の文化は他地域と大きく異なっています。ヒンドゥー教を中心とした宗教行事や儀礼、伝統舞踊、建築、さらには日々の生活にまで文化が息づいており、観光客はそれを肌で感じることができます。
アクセスとインフラ
国際空港があり、多くの国から直行便や乗継便で容易にアクセスできることも大きな強みです。島内の交通や宿泊施設も充実しており、初めて海外旅行をする人でも比較的安心して訪れることができます。
戦略的なブランディング
長年にわたり「楽園」「神々の島」といったイメージが観光メディアや旅行会社のプロモーションを通じて広まりました。他のインドネシアの観光地と比べても、早い段階から国際的にブランド化されたことが、観光客を引き寄せる要因になっています。
観光がバリ社会にもたらした影響
観光が盛んになることで、バリ島の経済は大きく変わりました。観光関連産業が地域の主要な収入源となり、ホテル、レストラン、ガイド、土産物産業など多くの雇用が生まれました。
一方で、伝統文化の商業化や過剰な開発、環境への負荷や生活コストの上昇といった課題も顕在化しています。地域社会の一部では、「観光中心になりすぎた影響」を見直す動きも出てきています。
これからのバリ島と観光
世界的な観光地としての地位を確立したバリ島ですが、持続可能性や文化保全といった新たな課題に直面しています。観光客の増加に伴う環境負荷を軽減しつつ、地域の文化を守るための取り組みが求められています。
訪れる人々にとっては、単なる休暇地ではなく、歴史や文化を理解し尊重する体験をすることが、これからのバリ観光の本質になるかもしれません。
まとめ
バリ島が世界的な観光地となった理由は、単純に自然が豊かで美しいからではありません。植民地期から続く国際的な露出、独立後の国家による観光政策、1970年代以降の観光開発や文化の再評価、国際ブランドとしてのイメージ構築など、複数の要素が積み重なって現在の地位が形成されました。さらに、観光産業を支えてきたのはバリ特有の文化的魅力と、島民が受け継いできた宗教・芸能・生活様式です。一方で、観光がもたらした経済発展には課題もあり、環境負荷への対応や文化の保全、生活コストの変化といった問題が今後の焦点となっています。バリを理解するとは、リゾートとして楽しむだけではなく、観光や文化がどのように共存しているかを見ることでもあります。
本記事で使用した単語の解説
観光産業旅行・宿泊・飲食・交通・文化など、観光客の消費を基盤とする産業全体を指す。
ヒンドゥー教バリ島で信仰される主要宗教。インドのヒンドゥー教とは部分的に異なり、祖霊信仰や儀礼、寺院文化が日常生活に深く根ざしている。
バックパッカー低予算で旅行する若い旅行者層を指す。1970年代以降のバリの観光発展に影響を与えた。
文化資源芸術、儀礼、伝統、建築など、観光や地域アイデンティティの要素となる文化的価値を持つ対象。
ブランド化地域や商品を特定のイメージで認知させるための戦略。バリは「楽園」「神々の島」といった表象により国際的に認識されてきた。
持続可能性環境・社会・文化への負荷を抑え、長期的に成立する仕組みを目指す考え方。現在のバリ観光で重要視されている概念。
FAQ
Q1. なぜバリ島は他のインドネシアの観光地より世界的に知られているのですか?A1. 早い段階から国際的な観光開発が進み、文化的魅力と自然景観が組み合わさったことでブランド化が成功したためです。また国際空港や宿泊施設などのインフラ整備も大きな要因です。
Q2. バリ島が観光地になったのはいつ頃からですか?A2. 観光の萌芽は植民地時代の1920年代に見られ、本格的な国際観光地として成長したのは1970年代以降です。
Q3. バリ島は観光依存が問題になっていますか?A3. 観光産業は経済の中心となりましたが、環境負荷、文化の商業化、生活コスト上昇といった課題も抱えています。持続可能な観光の模索が進んでいます。
Q4. バリ島観光で最も人気のあるポイントは文化ですか自然ですか?A4. 両方です。ビーチリゾートや火山などの自然環境に加え、宗教儀礼・舞踊・工芸・寺院などの文化体験も観光客に高く評価されています。
Q5. 今後のバリ島観光はどうなると考えられますか?A5. 観光客増加による負荷を抑えつつ文化価値を守る方向が重視され、質重視型や文化理解型の旅行スタイルが増える可能性があります。



